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京都地方裁判所 昭和54年(わ)996号 判決 1981年2月09日

主文

被告人を懲役五年六月に処する。

未決勾留日数中四八〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、北海道空知郡で一一人兄弟の末子として出生し、岩見沢市内の中学校を卒業後、帯広市内の運送会社に就職したものの、間もなくそこを辞め、寿司屋の板前として各地を転々としたあと、定職に就かず、ストリップ踊り子の、いわゆるヒモのような生活をし、その後昭和五三年夏ころから、京都市中京区木屋町通り三条上る上大阪町五二一番地京都エンパイヤビル八階所在サパークラブ「リムジン」に勤め、カラオケの司会などに従事していたものであるが、同五四年七月二一日午後九時前ころから同店調理場で同僚の西林鐘憲らとビールを飲み、一旦中断のあと、さらに同店カウンターでウイスキーの水割りやジンを飲んだうえ、客のいる同店内を走り回ったり、椅子を振り上げたり、折った植木の枝を持って同僚を追いかけるなどふざけまわっていたところ、翌二二日午前一時ころ、同店調理場において、同店マネージャー田崎利和(当二七年)から注意されたため、躁性の性格異常に飲酒酩酊の加わった被告人はこれに激昂し、とっさに同調理場に置いてあった刃体の長さ約二四・七センチメートルの牛刀を持ち、同調理場から出ていった右田崎を追いかけ、同調理場入口付近において、ふり返った同人の腹部を、殺意をもって右牛刀で一回突き刺し、よって、同日午前四時二〇分ころ、同市上京区釜座通り丸太町上る春帯町三五五の一五番地所在の京都第二赤十字病院救命センターにおいて、同人を左上腹部刺創に基づく肝臓失血により死亡させて殺害したものである。

なお、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(心神耗弱を認定した理由)

前掲各証拠によれば、被告人は本件犯行日前日の午後七時ころリムジンに出勤し、午後九時前ころから一〇時ころまでの間に同店調理場で同僚の西林鐘憲らとビール中びん八本位(被告人の飲酒量は四本位)を飲み、午後一一時過ぎころからも同店カウンターでウイスキー水割り三、三杯、ジン一杯を飲んでいること、被告人はカウンターの中で身体がふらつき、このためカウンター内の空びんを割ったこと、さらに被告人はカウンターの上にこぼれた水をおしぼりでふきとったものをグラスに戻して飲んだり、当時同店には客がいたにもかかわらず店内を走り回ったり、店内の椅子を振りあげたり、店内の植木の枝を折って、それを刀のように持って同僚を追いかけたりしていたこと、その後西林が自分も食事をしようと調理場へ入ったところ、被告人は、折った植木の枝を持ってふざけながら、西林のあとを追うようにして調理場に入り、被告人が「おれも一緒に飯を食うわ。」と言って自分で飯を皿に盛っていたところへ、田崎が入って来て、被告人に対し「そんなに酔っぱらってどうしたのよ。もう家に帰れば。」と注意したが、その注意は、余り厳しいものではなかったこと、これに対して被告人は「うるさいな、馬鹿野郎。」と言い返したものの喧嘩にはならず、その直後田崎が被告人に背を向けて調理場から店内に出た瞬間、被告人は付近にあった包丁を持ち、被告人の方にふり向いた田崎の腹部を一回突き刺していること、その結果田崎の左上腹部から肝臓に達する深さ一八センチメートル前後の刺創を生じていること、逮捕後、被告人は、警察署において訳のわからないことをわめきちらしたり、机の上のガラスに頭を打ちつけて割り、死にたいともらすなど極度の興奮状態にあったこと被告人は普段から陽気な性格であり、また被告人の酒の適量は、ビールなら三本位、ウイスキーの水割りなら相当濃いものを三杯位であって、飲酒するとさらに陽気になること、日頃被告人と田崎とが仲が悪いということはなかったこと等の事実が認められ、右各認定事実によれば、被告人は、本件当時、被告人自身の飲酒の適量を越え、相当程度飲酒酩酊していたのであるが、それにしても、接客業に従事している被告人が、現実には客を全く無視して異常なほどに店内をはしゃぎ回り、また、汚れた水をそれと知って飲むなど、被告人の行動には、単なる飲酒酩酊者の行動とは異って常軌を逸している点が多く、しかも殺人という重大な犯罪を犯すに至るについては、ある程度明確な動機の存在するのが通常であるが、この点についても、被告人と被害者とは日頃仲が悪いわけではないうえ、被告人が調理場に入った時点では、はしゃぎ回るのをやめて食事の準備にかかっていて、客観的には一応平静な状態に戻っており、被害者も余り強く叱責したわけではないことからすると、被告人がいきなり包丁で被害者の身体の枢要部を深く突き刺して殺害する必然性や客観的合理性は相当薄弱であるうえ、犯行後なおも異常な混乱興奮状態を続けており、これらの諸事情と前掲鑑定人作成の鑑定書とを合わせ考慮すれば、被告人には幼少期の生育事情に起因する躁性の性格異常があり、これに大量の飲酒に基づくかなり重症な酩酊状態とが加わった結果、本件犯行当時、病的な自我易傷性の憤激爆発傾向を有するに至り、このような精神状態の下で被害者からの注意を受けることによって反応として著しく異常な殺害衝動が生じ、本件犯行に至ったとみるのが相当である。以上によれば、被告人は本件犯行当時殺意を有していたものの、理非弁別力及びこれに従って行動する能力の著しく減退した心神耗弱状態にあったと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四八〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、サパークラブの従業員である被告人が、営業中の店内において、いきなり鋭利な包丁で被害者の腹部を強く突き刺して死亡させたもので、尊い生命を奪ったその犯行は、極めて大胆かつ悪質であり、飲酒酩酊のうえ客のいる店内をふざけ回っていた被告人に対し、上司である被害者が穏当な注意を与えたまでであって、被害者には全く落度がなくしかも被害者には本件の翌年には結婚を予定していた同棲中の婚約者があり、幸福な将来が約束されていたことを併せ考えると、被害者の無念さや残された婚約者、家族の心情は察するに余りがあるうえ、被告人は被害者の遺族に対して何ら具体的な慰藉の措置を講じていないことも併せ考えると、被告人の責任は極めて重大であるが、他面本件は、被告人が心神耗弱状態下において犯したもので、一瞬の激情にもとづく偶発的犯行であること、被告人には罰金刑以外の前科がなく、被害者の冥福を祈るなど改悛の情を示していることなど被告人に有利な諸事情をも考慮して、主文のとおり量刑した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田治正 裁判官 安原清蔵 水島和男)

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